コールJUNブログ

コールJUNホームページを補足する。写真も掲載。

佐渡を訪ねて

                  2010-7-9(ベース担当)西村健治 
6月上旬佐渡ヶ島を巡る旅をして来た。佐渡ヶ島へはこれが3度目である。
今迄は何れも秋に訪れているので是非とも初夏の頃に行ってみたかったのだが、漸くそれが叶うこととなった。なぜ初夏の頃かというと、前から佐渡の名花「かんぞう」の花の盛りを見たいと思っていたが調べてみるとその花期が6月初旬の頃ということであったからである。
そしてまた何故「かんぞう」かというと、私が数年前にコーラスを始めたばかりの頃に出会った曲「佐渡の四季」にこの花が詠われているからである。
またこの曲に出てくる佐渡の名勝・旧跡も同時に出来るだけ訪ねてみたかったからである。

合唱組曲「佐渡の四季」は中村千栄子作詞・岩河三郎作曲の 知る人ぞ知る 名曲であり、我々コーラスグループ「コールJUN」の代表である飯野淳也先生が自ら指導する「飯野コーラスファミリー」のメンバー(多い時は総勢200人余)を率いて、佐渡ヶ島ほか各所でこの曲の公演を行ってきた。
私もコーラスを始めて僅か3ヶ月ばかりの頃、2004年11月 池袋の「東京芸術劇場」の大ホールで開かれた「佐渡を歌うコンサート・東京公演」に図々しくも出演してしまった。これは誠に得がたい経験であった。そしてまた2年前・2008年11月の佐渡公演に参加出来たことも思い出に残る。

ということで家内と二人で、期待を込めて佐渡への旅を始めることとなる。
どういう風にして行くか思案したが自由に行動できるマイカーとレンタカーを併用して行くことにした。となれば種々評価が分かれるが所謂「千円高速」の特典を片道だけでも活かさない手はないと、新潟港に6月6日(日曜日)の8時半ころに到着し駐車場に車を入れた。 新潟は結構遠い。
流山ICから約350㎞、高速料金は通常8,000円のところ2,550円で5,500円ほど得した勘定だ。
9時30分出港の「おおさど丸」に乗船した。天候は晴れ。2等船室からデッキへ出ると潮風が心地よい。
両津港には12時着。早速予約していたレンタカーを借りにここでホンダの小型車を借り、先ずは大佐渡山脈の北辺に位置する「ドンデン山」に向かった。海抜ゼロメートルから途中狭い羊腸の
道を辿ると約50分程でいきなり標高900mのドンデン山荘前の広場に着く。ここから大佐渡・小佐渡の山並みと両津湾が一望出来る。
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   <左がその景観>
合唱組曲「佐渡の四季」ではその第4章「冬」編に「ここは名高き両津湾 ぶり・ぶり(鰤)ばしばし跳ねる」と歌われている。 しばしその展望を楽しんだ後 もと来た道を戻り内海府の海岸沿いを佐渡最北端の弾崎(はじきざき)へと向かった。3時過ぎに到着。ここには小さな灯台と灯台守夫婦の像があり 往年の映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台のひとつであったという。岬の突端に立つと回りは海ばかりで“ああ この向こうはもう朝鮮半島なんだ”との感慨を覚える。
 
次に向かった先が「二つ亀」であり、ここからが今回のハイライトとも言うべきスポットである。
「佐渡の四季」の第1章「春・おけさの島から」の最後のフレーズは「かんぞう飾った亀の島は 乙姫様を迎えに 新しい夏を迎えに」であり、佐渡が春から夏へ変わり行く様を歌っている。
そして、ここで愈々“かんぞう”が出て来るのである。
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その前に「亀の島」とは 佐渡・外海府海岸の北端にあり、一つは先ほどの「二つ亀」であり もう一つが「大野亀」である。右の写真がその「二つ亀」。まさに亀の甲羅のような形の二つの島が並んでいる。ここへは砂州を歩いて渡ることが出来る。私たちも歩いて渡ってみた。しかし岩ばかりで何もない島であった。
「大野亀」はそこから3kmほど南西にある。ここは島ではなく、岬の突端が鋭く立ち上がりまるで亀が頭をもたげたように見えるので“亀”という名がついたという。また一説には亀はアイヌ語の神(カムイ)に通ずるとも言う。
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この「大野亀」の台地一帯が“かんぞう”の群生地となっている。現地の案内板に「この地に初夏の訪れを告げる黄花カンゾウ(正式名:トビシマカンゾウ=飛島萓草)は山形県の飛島と酒田海岸、そして佐渡だけに生息するユリ科の多年草でニッコウキスゲに似ていますが花期は5月末から6月上旬と早く草丈は1m以上になります。ここ大野亀一帯は日本一のカンゾウの群生地で6月には黄色のじゅうたんを敷きつめたようになります」とある。  
確かにあたり一面黄色のカンゾウの花に彩られ素晴しい景観であった。やはりこの時期にこそ来て良かったと思った。近縁種のニッコウキスゲの群落としては私の知る限りでは、尾瀬の大江湿原と信州の霧ケ峰が最高であったが、佐渡のカンゾウの花は青い海原を背景に見る所がまた格別なのである。

(因みにカンゾウの花はごく身近でも見られる。右の写真がそれで7月4日に自宅近くの利根運河の土手で撮影したものである。但しこれは佐渡の黄花カンゾウではなく近縁種の“ヤブカンゾウ”であり、やや色が濃い。
100株ほどの小群落があった。)
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こうして “かんぞう飾った亀の島”を堪能して今宵の宿に向かった。
向った先はインターネットで検索して予約した「ますや荘」という民宿であり、丁度「二つ亀」と「大野亀」の中間の海沿いに位置している。ここは両津市(今は佐渡市)願292番地というところであり、 宿の人と電話で話をした時この地名の呼び方を“お願いのねがい” と言っていた。
願とは地名としては珍しく 又“願いが叶う”とか何か どこか趣きがあるように感じられたのだがどうであろう?  それにしてもどんな謂れがこの地名にはあるのだろうか。
しかしここは小高い所を走る県道から海辺に向って数百m程下った所にある戸数30戸ほどの小さな集落で本当に辺鄙なところであった。そのうち数軒は民宿とか釣宿を営んでいるようだ。
背後は直ぐに急な山の斜面であり平地というものは殆んどなく、海辺には数トンの船が僅かな数だけ停泊できる小さな船溜りがあるだけであって とても漁港と言えるようなものではなかった。
ここでは何を生業(なりわい)として暮らしているのだろうか? この集落は江戸時代からあったのだろうか? とふと考えてしまった。
そしてまた今の季節こそ旅の人などそれなりに人影がみえるが、冬になればここの暮らしはきっと厳しいだろうな と感ぜざるを得なかった。
宿は海辺から道路を隔てて僅か20m程のところにあり、ここは冬場は北西の季節風をまともに受け荒天の時にはもろに波のしぶきを被るのではないかと思われるような位置に建っていた。
そこで浮かんで来たのが 「佐渡の四季 最終章 たたけ鬼太鼓(おんでこ) <冬> 」の 出だしの歌詞 『 波は来る来る  白いたてがみを振りたてて  灰色の馬に乗ってくる 島をめがけてやってくる ・・・ ぶつかる はじける 天を突く ・・・ 迎える岩は牙をむき 波のたてがみをかみくだく 』 であった。  冬にはきっとそういう光景が見られるのだろう。
閑話休題。
通された2階の部屋からは先ほど訪れた「二つ亀」がよく見える。宿の施設は質素なものであったが、客は私たちだけでゆったり過ごすことができた。6時過ぎからいよいよ楽しみにしていた食事となった。
宿の予約の際、何か特別料理があれば頼みたいと告げたら、「それは通常必要ないと皆様おっしゃいます。出された料理を見てから追加が欲しいと思えばおっしゃって下さい」とのことであった。
 実際に出された料理は、さざえの壺焼き、石鯛とうみたなごの焼き物、尾頭付きのひらめ・鯛・鯵の船盛り、山菜のてんぷら、白身魚の寿司、あらめ・わかめの酢の物 などなど びっくりする程豪華で多かった。なるほど、特別料理など注文する必要は全くないと、納得できた。
そのうえ私も家内も刺身は大好きなのだがどうしても食べきれず、宿の人には申し訳ないがかなりの量残してしまった。こんなことは初めてだ。   これで一泊¥7,350円、何か申し訳ない感じだ。
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 ということで満ち足りて部屋に戻り、持参の芋焼酎をオンザロックにしてちびちび舐めながら暮れ行く海を眺めていた。まさに至福のひと時である。
そのうちに水平線に明かりが見え始めだんだん数を増してくる。ああ あれはいかつり船 だ。
佐渡の四季 第2章「夏 “海と星とお地蔵さんと”」の中段の歌詞 『広い空に 天の川  とりまく海にいかつり船 ・・・・ 夜を通して ひか ひか ひか 』   まさにあの世界だ。     
<佐渡沖の漁り火>
 6月7日、翌朝は海沿いの遊歩道を辿り宿から15分程のところにある“賽の河原”を訪ねた。。
ここ“賽の河原”は組曲「佐渡の四季」にはその<夏>編に『賽の河原のお地蔵さん  赤いずきんで海をみる   一つ二ぁつ三つ四つ  夜中に積む石 波のうた   身代わり地蔵の小法師さんに精霊花(しょうれいばな)が供えてあるよ』  と詠われている。
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行ってみると、あの歌詞の通りの情景が広がっていた。半洞窟の中の地蔵菩薩を中心に洞窟の内にも外にも、沢山の小さなお地蔵さんが置かれていた。
現地の案内板には『賽の河原は幼くしてこの世を去った子供たちの冥土を願う御仏の霊場であり、幼児の仕事は「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため・・・」と 先立つ不幸を詫びながら小石の塚を作ることである。しかし、夕方には必ず地獄の鬼どもが現われそれを打ち壊してしまう。鬼が去ると幼児たちは又小石積みに励み翌朝までには再び立派な塚を積み終える。がまた鬼がこれを打ち壊す。』とあった。
 歌詞の中の「一つ二ぁつ三つ四つ  夜中に積む石波のうた」はこの説話を踏まえていたのだ。
物事が実りなく徒労に終わることを「賽の河原の石積みの如し」と言うことは知っていたが、早逝した幼児を悼む想いが秘められているとは知らなかった。
また精霊花(しょうれいばな)についてであるが、調べてみるとミソハギ(禊萩)のことを言うようだ。『お盆になるとショウリョウサマがお帰りになる。遠い冥界よりおいでになった精霊様は沈み眠って居られる。
その霊を蘇えらせるのが精霊花である。』(佐渡市・伊藤邦男氏著“佐渡の自然と草木と人間と”より)とあった。 <右がミソハギの花>nisi-9_convert_20100712165835.jpg

ミソハギ(禊萩)の名の由来は禊(みそぎ)に使われるからというが別名盆花とも言われるようだ。

ここ佐渡の“賽の河原”は関東の地からは遠く再び訪れる機会があるかどうか判らないが、非常に印象に残るところであった。もう一つ印象に残ったのが海辺の岩に咲く「岩百合」(左写真)であった。nisi-10_convert_20100712165908.jpg

本当に潮風がまともに当たる岩にへばりつくように咲いている。
ここから次の目的地“尖閣湾”に行く途中海辺の岩に何度か見られた。
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外海府の海沿いを途中“平根崎海蝕甌穴群”などを見て、尖閣湾<右写真>には11時頃到着した。
尖閣湾”は組曲「佐渡の四季」<夏>編で『底まで青い 尖閣湾で・・・・』と詠われている。
この光景を見ようと今日は天気も良いことであるし、海中透視遊覧船に乗ることにした。遊覧船は湾内を巡航する中でところどころ水深の浅い所で速度を落とす。すると底まで良く見ることが出来る。海藻が茂り、案内嬢が「ほら、あれが石鯛です。あれが河豚です」などと教えてくれる。楽しいひと時であった。
 次に向った先は史跡「佐渡金山」。 <左写真>
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「佐渡の四季」<夏>編では『きーん こーん 聞こえるかい相川金山 相川金山 たぬき堀り 』 と詠われている。
宋太夫坑史跡は本当に見応えのある所であった。江戸時代から人力だけで地下数百メートルまで堀り進んだというから凄いことだ。また有名な「道遊の割戸」を見てここを辞した。

最後は何とか 朱鷺の姿を見たいと「佐渡トキ保護センター」に併設されている「トキの森公園」に向った。ここでは大空を舞う姿は見るべくもないがゲージ越しに実在のトキを何羽か見ることが出来た。組曲「佐渡の四季」<冬>編では、『ああ ぼくら 心の空に トキがいる ・・・ ぼくらの島は 佐渡ケ島  心に朱鷺の舞う島さ  アリャサノサッサ・・・』 

 これで私たちの佐渡の旅をほぼ終えることとなる。二日間のある意味では駆け足旅行であったが充実した楽しい旅であった。
両津港発午後4時、新潟港着午後6時半。今日のうちに車を運転して千葉まで帰ることは難しい。
どこか途中で泊まることになるだろう。                  (佐渡を訪ねて 完)
                                               
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  1. 2010/07/10(土) 14:01:01|
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