コールJUNブログ

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”たかが甲子園、されど甲子園”(追憶と夢の聖地・甲子園)

              コールJUN バリトン 伊 藤 幸 二
いよいよ夏の高校野球が聖地、甲子園で始まって、連日熱戦が繰り広げられている。
今年は92回目の大会だそうで、なんと大正時代から連綿と続くイベントなんですね。
先日のNHKテレビで、敗戦直前(昭和17年?)にも敵性野球ながら開催され、報道されなかった(認知されなかった?)高校野球があったそうで、悲劇の1ページとなる、ドキュメント番組が放映されていましたが、終戦前後の5年間だけ、中断を余儀なくされたが、敗戦直後の昭和21年から、平和の証としての高校野球は、敗戦後の混乱期を乗り越えて今日まで連綿と続き年々隆盛を極めておりますね。
今年は戦後64回目?(戦前は28回大会で中断)になるんですね。
やはり春の選抜大会よりも、この真夏に開催される大会の方が、我々の心に大きな印象として残る気がするのは小生だけの感傷でしょうか?春の大会も勿論素晴らしいんですけどね。やはり一発勝負の予選大会を勝ち抜いて、ようやく甲子園の土を踏める仕組みが夏の大会の醍醐味なんでしょうね。

開会式で必ず歌われる、大会歌「栄冠は君に輝く」の合唱が流れてくると、いつの間にか自然に自分も一緒に歌ってしまうんです。 本当に素晴らしい、大会応援歌だと思います。
今年は人気シンガーでもある、女優、平原綾香が、毎試合この歌を独唱する企画が実施されるそうで、開会式以外でもこの歌を聴けるるのが楽しみです。
歌詞といいメロデイーといい、最高のスポーツ応援歌だと思うんですが皆さんは如何ですか。

さて、高校球児の聖地でもある甲子園球場は、ご存知のとおり、プロ野球阪神タイガースのホーム球場でもあり、小生の熱愛するタイガース(自称虎キチ?)は高校野球の開催されるこの酷暑の時期、球場を高校球児に明け渡し、8月末まで約1ヶ月、アウエーに出て不利な戦いを余儀なくされるんです。
毎年のように「死のロード」に出て、負け試合が多くなり、ダメ虎に急降下してしまい、低位に変身してしまうんですよ。阪神フアンにとっては最も嫌ーな時期でもあるんです。
高校野球に拍手喝采しながらも、小生にとっては、プロ野球のペナントレースが伯仲し、タイガースの勝敗に一喜一憂する時期でもありますが、、、、今回は”くたばれジャイアンツ、ダメ虎がんばれ”の甲子園への思い入れはチョット脇において、夏の高校野球の思い出記に絞って、少々手前味噌な追憶と甲子園物語?を書いてみようと思った次第です。

昨今の高校野球への思い入れは、以前と比べると、歳のせいか関心も薄れていますね。
テレビ画面では放映していても、専らながら族になり気味で、地元千葉の代表校の活躍か、かっての出身地(郷土三重)の代表校が少々気になる程度で、それほど熱を上げて応援するチームも少なくなっています。準決勝や決勝戦にでもなれば最後まで観戦する事もあるんですが、野球常連校の強さが目立ち過ぎて、なんとなく興味も半減というところです。
どちらかと言えば、概して弱そうなチームを心情的に応援する程度の熱心さに成り下がっています。出場常連校や私立の野球校よりも、初出場や公立校を応援したい心情になりがちですね。大体が弱い高校への判官ひいきの応援になる訳で、出場常連の野球校には応援したくない気持ちが強いんですね。(熱烈な応援チームがある皆さん、失礼な事を言ってごめんなさいね)。
郷土の期待を背負って甲子園を目指す選手達の、ただひたむきに勝利を目指して頑張る姿に拍手喝采する気持ちは人並みなんでしょうが、、、野球有名校への反発は小生の天の邪鬼のせいもしれませんね。

さて、、、小生にとって最初の甲子園との出会いは、半世紀以上も前、昭和30年(1955年)、なんと55年も前の、遙かなる、、、、遠い昔の想い出から始まるんです。
出身地、高校生時代を過ごした故郷、三重県四日市での夏の椿事?が最初なんです。

敗戦後、ようやく10年経った昭和30年、桜の舞い散る春爛漫の頃、晴れて県立四日市高校に入学。当時から県下有数の進学校で、明治32年(当時の県立2中として)創立された伝統校でもありました。
ひょろひょろのひ弱な田舎ぺの中学生から市内の中学の新入生とクラス仲間になり、田舎生活からいっぺんに垢抜けた有名中学の仲間と一緒になった初めての高校生活の開始でした。最初は劣等感に悩む日々でしたが、2~3ヶ月もする内に親しい友人も出来始め、学校活動にも余裕が出て楽しめるようになった頃、、、、、、、、、高校生として初めての夏休みが始まる時期に、夏の高校野球の予選が進み、(当時は三重と岐阜で代表を争い、三岐大会で甲子園出場が決まるシステム)事前の予想では、数年前から母校の野球部の実力評価も高まってはいましたが、漸くこの年には予選を勝ち抜き、三重県代表となり、あとは岐阜県の名門校、岐阜商業?との決勝戦となったんです。
そして常勝の宿敵、岐阜県勢を破って、夢に見た念願の甲子園初出場が実現しました。
甲子園初出場は予想外?の事態だったが、時の利、地の利、運も大いに作用してくれたのか、甲子園への夢が現実となった次第です。
いつも岐阜の強豪勢に阻止されていた甲子園行きがようやく適い、地元は沸きかえった。
母校でも急遽、応援体勢を急造して、在校生の我々にも、連日夏休みの炎天下、校庭に駆り出されて応援練習の日々となって、生徒や地元の熱気も盛り上がっていった訳です。

甲子園初の第一戦の相手、北海道代表、芦別高校に緒戦は勝ち、その後は誰も予想?しなかった、あれよあれよの快進撃となり、ついにベストフオーに勝ち進み、準決勝戦は強豪の中京商業(今の中京大中京)との対戦となった。
テレビ中継が始まって未だ間もない頃で、自宅観戦など思いも寄らぬ時代だったんです。
小生は、3年生に在校中の姉と親父の3人で、急遽この準決勝戦を応援すべく直接甲子園に駆けつけました。
初めての甲子園、炎天下のアルプス席でカチワリ氷をすすりながら、まさかまさかの強豪中京商業を破ってしまい、決勝進出が決まって、勝利の感激に酔いしれながら、其の日の内に帰宅し、翌日の決勝戦は地元のテレビ観戦での応援となりました。
翌日の決勝戦は、四国香川県代表の坂出商業との対戦となり、テレビのある場所で観戦したんですが、、、、、其の場所も状況も、今ではあまり鮮明に思い出せない次第で、55年も前のあの決勝戦は、本当に遠い~~過去の物語なんですよね。
誰にも予想できなかった決勝戦にも快勝し、遂に初出場・初優勝の快挙となった。
大会優勝旗授与で流れる「勇士は帰りぬ」の名曲がブラスバンドで流れてくる中、其の調べに感激、感涙、母校の優勝の実感がようやく湧いてきた瞬間でした。
母校の真っ白いユニフォーム(昨今の早稲田実業と同じ純白だった?)で翌々日には郷里に凱旋帰校。全校あげての祝勝の旗と提灯行列が続き、母校の校庭に埋まる大観衆での祝勝会が開催されて、級友達と抱き合って感激に浸りきったが、高校1年生になってから、たった5ヶ月後の幻?のような椿事だった。
当事の新聞での事前予想はダークホースとのみ記され、その後の奇跡の進撃は甲子園の歴史でも稀な初優勝だったと思う。
その後、母校の野球部はまったく甲子園とは縁遠くなってしまい、未だに県予選のトップにも上がってくる気配もなく、半世紀が過ぎて、やはり公立進学校の限界をまざまざと見せられているのが現実です。
戦後の記録によると、夏の甲子園の初出場・初優勝校は、公立3校、私立校7校(記録によると)のみしかない。公立高校は四日市以外は戦後昭和24年の神奈川湘南と四日市の後の九州三池工業だけである。
近年は特に私立の野球常連校が優勝する頻度が高く、昨今では部員が100名以上と全国から野球留学も珍しくない有様で、あまりにも勝利至上主義がはびこり眉を潜めたくなる状況も散見される。府県(郷土)対抗の趣旨からすれば出場選手の資格に有る程度の規制も必要ではと考えるが、如何であろう。まああまり深刻に考えななくとも思うが、現状のままでは高校野球のプロ化、優勝校の偏在がますます進むような気がしてならない。
ここ10数年前までは、優勝旗授与の時や閉会式で、優勝校が場内を一周行進する際に、優勝旗の先端から短冊(長冊?)のようにぶら下がる、色とりどりの歴代の優勝校の校名が吹く風になびいて、時折母校の校名が散見される事もあったが、今では92校もの優勝校の短冊を全部はとてもぶら下げられないのか、全く見られなくなった。平成以降の優勝校のみに省略?したのかもしれませんね?母校の名が瞬間にでも見られる機会だが、残念な次第である。

高校野球球史に残る、名勝負、印象深いプレーの数々や思い入れも沢山あるが、、、、、、、、、、、何時までもこの文章が終わりそうになくなりそうで、名勝負の数々は皆さんの心の中にお任せして、昨今小生が感じる諸々の現象を、少々手前勝手な異見?としてお話してみたいと思う。

最近の高校生は体格も立派で即プロで通用すると思われる選手が多い。昔の芋兄ちゃんが少なくなり、イケメン選手の多い事にも驚く次第である。女性に人気なのも納得の真夏の全国規模の大イベントなんだなーと思う次第だが、、、、なんとなくスマート過ぎる感じだ。
小生が高校野球で、母校の優勝以外に強烈な印象を残したもの、、、、それは20年ほど前の石川代表、金沢星稜高校の松井選手(大リーグで活躍中)への5連続敬遠事件である。
高知の恥?明徳義塾の監督の愚挙?だろう。あの時のブーイングは観戦した観客のみならず全国の高校野球フアンの心を傷つけたと思う?が(勝利の校歌もブーイングで聴き取れなかったそうだ)、それでも擁護するマスコミ記事もあったのには驚いた。
あの時の監督には教育者としての資格は無い?と思うが、勝利至上主義の行過ぎた事例だろう。勝つ為には手段を選ばずと監督をそこまで追い込んだ周りの人間共の心の貧しさに慄然とした。
あの時の怒りは未だに消えない。正々堂々と戦う宣誓が泣くというもんだ。人生甘くはないが、勝てば官軍(正義)も歴史上の事実だと思うが、高校野球(スポーツ)の夢?を壊すような愚挙だけは、今思いかえしても腹の立つ事件だった。
こんな忌まわしい事例が真っ先に浮かぶのはそれだけ怒りが大きかったんだと思う。
爽やかな青春のイベントなのに、不愉快なつまらぬ想い出を書いてしまいすみません。

話題を変えて大会改革の意見?になるが、ごく最近の新聞投書で読んだ記事で、試合終了後の校歌は敗者校の校歌にしたらとの提案があった。勝者には優勝した時のみ、決勝戦終了時に準優勝校と優勝校の校歌を同時に歌えば良いのではとの意見だったが、大賛成だ。
勝者は毎回校歌が聴けるが、敗者こそ健闘を称えて再チャレンジを誓う応援歌として歌ったらどうだろう。勝者は必ず最後に優勝の喜びに浸りながら校歌を歌えれば充分である。甲子園に出場した全高校が必ず一回は甲子園で自分の校歌を歌えるという、素敵な提案だと思う次第である。
野球留学の規制や敗者校への校歌斉唱の思いやり等、高校野球をもっと魅力あるものにする為の改革提案を、現高野連会長の奥島氏(大学の同級生)にも機会があれば提言したいなーと思っている今日この頃である。
ちょうどこの文章を書いている、今日(8月19日)は、77年前の1933年夏の中等学校野球大会で大会史上に残る、明石中学と中京商業の準決勝戦で、延長25回戦が行われた日で、25回まで投手戦のままゼロ行進が続いたが、最後に中京が一点を入れて勝利した日だそうで、翌日の決勝戦で平安中学に勝って優勝を決めた歴史的な記録の日だったんですね。

今夏も数々の想い出を残して、、、、今年の甲子園も残り少ない日々になりました。
あと数日で今夏の高校野球も終わり、夏の終わりの寂しさを何となく感じられる頃、秋風と共に甲子園には、阪神タイガースが戻ってくる。
ダメ虎のまま戻ってくるのか、優勝争いの伯仲のままか、ここ4年、ジャイアンツにやられっぱなしのVを阻止し、5年ぶりの優勝を目指す阪神タイガースの甲子園での快進撃を期待し切望しながら、残暑が続く中、、、、、逝く夏を惜しむ時期はもう直ぐそばに来ているのに、まだまだタイガースへのやるせない思いが続いていくんです。

ひとりよがりの甲子園への追憶と高校野球への偏見に満ちた意見に長々とお付き合い頂き、お疲れ様でした。
残暑が続きます、夏バテに負けず、お元気に過ごされますよう、諸兄のご自愛を祈ります。

近々に、、、、阪神タイガース優勝の感激を皆様に報告できる日を切望して、、、、、、この辺で取り敢えず、、、、、終わりにさせて頂きます。
               2010年8月20日 コールJUN 伊藤幸二
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  1. 2010/08/21(土) 11:11:19|
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