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野口 雨情の生家を訪ねて

                      2010.9.25  安 邦男
 今、コールJUNでは、野口雨情の「動物メドレー」を練習している。この歌は、ウサギや蛙、黄金虫それに狸が入れ替わり・立ち替わり登場するにぎやかな曲である。コーラスの経験の少ない私には、必死に食らいて行かないと置いてけぼり間違いなしである。
野口雨情は、数多くの童謡を残しているが、いずれも豊かな自然や少年のような無垢な気持ちを素直に詩にしており、同県人の私としては、いつか雨情が生まれ育った風景を見てその地に触れたいと思っていた。そこで、彼岸の3連休を利用して、水戸で父母の墓参りをしたあと、雨情の生家に立ち寄ることにした。
雨情は、茨城県の北部・磯原に生まれ育った。6号国道の海側には「野口雨情記念館」があり、道
の反対側には常磐線を背に「雨情生家・資料館」があった。
生家は、旧水戸藩のお休み処であったとのことで、白壁が綺麗な建物であった。白砂の海岸には、歩いて2~3分で行け、海に突き出た小高い山からは、雄大な太平洋が望めた。日の出はきっと綺麗だろう。なお、小高い山の上には、水戸黄門が座ったと言われる石があり、触らせて頂いた。
常磐線側はすぐ山で、緑に映える緩やかな山が連続している。このため平地はわずかで、昔は家も少なく、自然豊かな海と山に挟まれた小さな村であったと思われる。磯原は、岡倉天心が移り住んだ大津港にも近く、この辺の海岸線は入り組んでおり風光明媚である。雨情の優しい感性は、このような自然に恵まれた環境で磨かれたように思う。
「雨情生家・資料館」には説明員がおられ、野口家の家系から、雨情の生涯、詞が作られた背景などを丁寧に説明してくれた。
それによると、生家は、お父さんの代は廻船問屋を営んでいて豊だったが、物資輸送が船から鉄道に代わるにつれて苦労するようになったとのことである。
今まで私が何気なく歌っていた歌には、雨情の思いが詰め込まれているとの説明を受け、以後その気持ちを大切に歌って行こうと思う。
既にご承知の方もおられるかと思うが、説明員からお聞きした話の一部をご紹介したい。
「雨降りお月さん」は、雨情のお嫁さんが栃木県から2日間をかけて馬車で腰入れをする際、小雨が降っていて、その時の可憐な姿を歌にしたとのこと。生家の広間には、嫁入り衣装や道具が展示されていた。とても綺麗なものだった。
「シャボン玉」は、初めて生まれたお子さんが、生後7日で亡くなった時の気持ちをシャボン玉になぞらえて作ったとのこと。改めて読み直すと、雨情の子供を思う気持ちが分かるような気がした。
「枯れすすき」は、雨情がどん底状態にある時に作り、世に認められるきっかけになったとのこと。
説明員の話が終わって、雨情の本を買い求めると、普段は講演活動でお忙しい雨情のお孫さんである「野口不二子」さんがご在宅とのこと。本の裏表紙に雨情が良く言われていたという「童心清し」のサインを頂いた。大切にしようと思う。
今の子供たちを思うとき、蛙や黄金虫に触れることもなく、うさぎや狸は動物園に行って見るしかない。時代の流れと言えばそれまでだが、このような中で子供はどのように育つのだろうか?と考えさせられた。

「野口雨情記念館」参照下さい。 http://www.ujokinenkan.jp/

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  1. 2010/09/25(土) 09:31:11|
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