コールJUNブログ

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「ごんぎつね」

        2010.10.24   コールJUN トップテナー  加藤 修
niiminankiti
 新美 南吉(にいみ なんきち)の童話です。南吉は、1913年7月30日、愛知県知多郡半田町(現・半田市)に生まれ、1943年3月22日 満29歳の若さで亡くなっています。
 地方で教師生活をしていて、若くして亡くなった童話作家という共通点から「北の賢治、 南の南吉」と言われ、比較されたりもしていますが、宮澤賢治の壮大な宇宙観とは違って、 南吉の作風は、身の回りの生活の中から拾い上げた素朴な題材が中心となっています。
 代表作に、『ごんぎつね』(1932年)『おぢいさんのランプ』(1942年)『牛をつないだ椿の木』(1943年)『花のき村と盗人たち』(1943年)『手袋を買いに』(1943年)などがあります。
作品の多くは、故郷である半田町岩滑新田(やなべしんでん)を舞台としたものです。
 南吉は狐が好きだったようで、狐と人間との関わりの作品『ごんぎつね』『狐』『手袋を買いに』は、私の大好きな作品です。 ついでに書きますと、『赤い蝋燭(ろうそく)』(1936年)は、猿が主人公ですが、この作品もほんわかと心温まる大好きな作品です。

 2010年11月28日の第18回「流山市合唱祭」で、コールJUNは、新美南吉原作、中山真理採詞・作曲の音楽物語「ごんぎつね」を、歌うことになりました。
 新美南吉の童話「ごんぎつね」は、50年以上もの間、4年生の国語教科書に採用されていて、子供たちばかりでなく大人たちにも愛されてきた作品なので、「今さら・・・」とは思いますが、私見を加えながら、本文を紹介してみたいと思います。
 この童話の内容を忘れかけていた人も、本文で思い出していただければ、コールJUNの歌う音楽物語「ごんぎつね」を、より深く楽しんでいただけると思います。

なお、童話の本文を斜体で表示し、私見を加筆しました
「ごんぎつね」          新美南吉作
       一
 これは、私(わたし)が小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんからきいたお話です。
 むかしは、私たちの村のちかくの、中山(なかやま)というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。
 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐(ぎつね)」という狐がいました。  ごんは、一人(ひとり)ぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って芋をほりちらしたり、菜種(なたね)がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家(ひゃくしょうや)の裏手につるしてあるとんがらしをむしりとって、いったり、いろんなことをしました。

※南吉は、「渡邉」姓であったが、4歳で母親と死別しています。8歳の時「新美」姓の祖母の養子となり二人で暮らしていましたが、わずか5ヶ月で「新美」姓のまま渡邉家に戻っています。そんな境遇から、シダのいっぱい茂った・じめじめした森の中の暗い穴の中に住んでいる、ひとりぼっちの「ごんぎつね」に自分を重ねていたのかも知れません。

 或(ある)秋(あき)のことでした。二、三日雨がふりつづいたその間(あいだ)、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。
 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、百舌鳥(もず)の声がきんきん、ひびいていました。

※少しもじっとしていられないようないたずら好きの子ぎつねが、3日も穴の中にじっとしていなければならなかったから、ほっとして穴からはい出た「ごん」の気持ち分かりますね。おまけに、この上ない上天気ですから、「ごん」は、ルンルンです。

ごんは、村の小川(おがわ)の堤(つつみ)まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少(すくな)いのですが、三日もの雨で、水が、どっとましていました。ただのときは水につかることのない、川べりのすすきや、萩(はぎ)の株が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下(かわしも)の方へと、ぬかるみみちを歩いていきました。
 ふと見ると、川の中に人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと草の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。
「兵十(ひょうじゅう)だな」と、ごんは思いました。兵十はぼろぼろの黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、はりきりという、網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、まるい萩の葉が一まい、大きな黒子(ほくろ)みたいにへばりついていました。

※ 子ぎつねながら利口者の「ごん」は、村人の名前を知っているのです。一方、兵十は?  というと、顔の横に大きなホクロのようにへばりついた萩の葉も気にならないのですから、 細かいことにこだわらないのかも知れない。
しばらくすると、兵十は、はりきり網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、芝の根や、草の葉や、くさった木ぎれなどが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、ふというなぎの腹や、大きなきすの腹でした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。
※JUNの練習中に「はりきり網」が話題になり、あ~だ・こ~だ、と15分も中断。
この部分を思い出していれば、どのような網か、解決は早かったなあ、と悔やまれます。

 兵十はそれから、びくをもって川から上(あが)りびくを土手(どて)においといて、何をさがしにか、川上(かわかみ)の方へかけていきました。
 兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、はりきり網のかかっているところより下手(しもて)の川の中を目がけて、ぽんぽんなげこみました。どの魚も、「とぼん」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみました。
 一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュッと言ってごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから、
「うわアぬすと狐め」と、どなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、にげていきました。
 ほら穴の近くの、はんの木の下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。
 ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。

※兵十がいなくなった時、気分はルンルンの「ごん」でしたから『ちょいと、いたずらがしたくな ったのです。』がよく分かりますね。しかも、「ごん」のお利口さんぶりが、いたずらにも出て います。「ごん」はびくの中の魚をつかみ出しては、はりきり網のかかっているところより、  下手の川の中を目がけて、ぽんぽん投げ込んだのです。網の上手に投げたのでは、せっかく の魚がまた網に入ってしまいますからね。
しかも、『うなぎを、やっとはずして穴の外の、草の葉の上にのせておきました。』と言う事 で、食べる目的でないことも分かります。
       
十日(とおか)ほどたって、ごんが、弥助(やすけ)というお百姓の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内(かない)が、おはぐろをつけていました。鍛冶屋(かじや)の新兵衛(しんべえ)の家のうらを通ると、新兵衛の家内が髪をすいていました。ごんは、
「ふふん、村に何かあるんだな」と、思いました。
「何(なん)だろう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが」

※「ごん」の心のどこかに、村人との関わりを持ちたいという気持ちがあって、村のどの行 事がどんな様子であるか、ということまで想像を巡らせることが出来ているのでしょう。   その関わり合い方が、いたずらと言う行動に出てしまうのでしょうね。

 こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間(ま)にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢(おおぜい)の人があつまっていました。よそいきの着物を着て、腰に手拭(てぬぐい)をさげたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きな鍋(なべ)の中では、何かぐずぐず煮えていました。
「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう」

※『赤い井戸』は、どのような井戸か分かりませんが、『小さな壊れかけた家』から想像する と、屋根も柱もない赤土で穴の周りを囲っただけの井戸で、桶を投げ込んでは引き上げる汲 み方の、貧乏の象徴のような井戸だと思われます。
  そして、村人の服装や振る舞いから『葬式だ』と判断できる「ごん」なのです。
 
 お午(ひる)がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵(ろくじぞう)さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、お城の屋根瓦(やねがわら)が光っています。墓地には、ひがん花(ばな)が、赤い布(きれ)のようにさきつづいていました。と、村の方から、カーン、カーン、と、鐘(かね)が鳴って来ました。葬式の出る合図(あいず)です。
 やがて、白い着物を着た葬列のものたちがやって来るのがちらちら見えはじめました。話声(はなしごえ)も近くなりました。葬列は墓地へはいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。

※ 場面は一転してカラフルになります。良いお天気です。遠く向こうには、富の象徴である 屋根瓦が光っています。辺り一面の真っ赤な彼岸花です。悲しいはずのカーン、カーンとい う鐘の合図も、心なしか陽気に聞こえます。
でも、葬列の後の踏み折られた彼岸花が、現実に引き戻してくれます。
       
 ごんはのびあがって見ました。
 兵十が、白いかみしもをつけて、位牌(いはい)をささげています。いつもは、赤いさつま芋(いも)みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。
「ははん、死んだのは兵十のおっ母(かあ)だ」
 ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。

※「ごん」は、村の墓地まで来ました。ここに来れば、誰が死んだのかも知ることが出来ると 分かっているのです。兵十のしおれた顔を見ただけで、「ごん」には誰が死んだのか分かったのです。

 その晩、ごんは、穴の中で考えました。
「兵十のおっ母は、床(とこ)についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」

※採詞・作曲の中山真理さんは、この部分の文章をそっくり採用して曲にしています。
 それだけ、この部分は、この作品における重要な要素を含んでいると思います。
 兵十のおっ母は、実際には、ウナギのせいで死んだのではないのかも知れないのです。
 でも、いたずら盛りの「ごん」は、自分のせいでおっ母が死んでしまったと想像し、初めて、反省したのです。
      三
 兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。
 兵十は今まで、おっ母と二人(ふたり)きりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。
「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」
 こちらの物置(ものおき)の後(うしろ)から見ていたごんは、そう思いました。

※赤い井戸のところで、米ではなく、麦をといでいる兵十の様子は、「ごん」にも、しょんぼり した様子に見えたのでしょうね。思わず漏らした一言。
「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」・・・自分の境遇に照らして、急に感じた「一人ぼっち」に なった兵十への親近感。 「ごん」は、この時から兵十に深くかかわわっていくのです。
 
 ごんは物置のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。
「いわしのやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」
 ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助(やすけ)のおかみさんが、裏戸口から、「いわしをおくれ。」と言いました。いわし売(うり)は、いわしのかごをつんだ車を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、かごの中から、五、六ぴきのいわしをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の家の裏口から、家の中へいわしを投げこんで、穴へ向(むか)ってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました。
 ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。
 つぎの日には、ごんは山で栗(くり)をどっさりひろって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、午飯(ひるめし)をたべかけて、茶椀(ちゃわん)をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十の頬(ほっ)ぺたに、かすり傷がついています。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。
「一たいだれが、いわしなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人(ぬすびと)と思われて、いわし屋のやつに、ひどい目にあわされた」と、ぶつぶつ言っています。
 ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんな傷までつけられたのか。
 ごんはこうおもいながら、そっと物置の方へまわってその入口に、栗をおいてかえりました。
 つぎの日も、そのつぎの日もごんは、栗をひろっては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二、三ぼんもっていきました。

※いわし売りの声を聞いた「ごん」は、とっさに思いついて、いわしを兵十の家に投げ込み、 『ウナギの償いに、まず一ついいことをした』と思ったのに、ますます兵十を困らせているこ とを知り、『これはしまった』です。
  そして、『かわいそうに』という感情の変化が、兵十への思いを募らせていくのです。そして、栗や松茸を毎日毎日届けるのです。
  四
 月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を通ってすこしいくと、細い道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えます。チンチロリン、チンチロリンと松虫が鳴いています。
 ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助(かすけ)というお百姓でした。
「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。
「ああん?」
「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」
「何が?」
「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに栗やまつたけなんかを、まいにちまいにちくれるんだよ」
「ふうん、だれが?」
「それがわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」
 ごんは、ふたりのあとをつけていきました。
「ほんとかい?」
「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来(こ)いよ。その栗を見せてやるよ」
「へえ、へんなこともあるもんだなア」
 それなり、二人はだまって歩いていきました。
 加助がひょいと、後(うしろ)を見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気がつかないで、そのままさっさとあるきました。吉兵衛(きちべえ)というお百姓の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンと木魚(もくぎょ)の音がしています。窓の障子(しょうじ)にあかりがさしていて、大きな坊主頭(ぼうずあたま)がうつって動いていました。ごんは、
「おねんぶつがあるんだな」と思いながら井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。お経を読む声がきこえて来ました。

※村の行事などを知り尽くしている「ごん」は、吉兵衛の家の様子から『おねんぶつ』である ことを知り、兵十と加助の帰りを待つためにしゃがんでいるのです。
       五
 ごんは、おねんぶつがすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。兵十の影法師(かげぼうし)をふみふみいきました。

※今までいたずらばかりしてきた「ごん」からは想像も出来ない、しおらしくて可愛いらしい 「ごん」がここにいます。少しでも兵十にかかわりたい「ごん」なのです。加助ではなく、兵十 の影法師を踏み踏み後をつけていく様子を想像してみてください。可愛いでしょう?

 お城の前まで来たとき、加助が言い出しました。
「さっきの話は、きっと、そりゃあ、神さまのしわざだぞ」
「えっ?」と、兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。
「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ、神さまが、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」
「そうかなあ」
「そうだとも。だから、まいにち神さまにお礼を言うがいいよ」
「うん」
 ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。

※自分の期待に反した方向に進む二人の会話に『おれは、引き合わないなあ』と思いながら も、何とか分かってもらえる方法はないかなぁ、と言う気持ちで、「ごん」は、兵十の家まで、 兵十の影を踏み踏み帰ったことでしょう。
       六
 そのあくる日もごんは、栗をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は物置で縄(なわ)をなっていました。それでごんは家の裏口から、こっそり中へはいりました。
 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」 兵十は立ちあがって、納屋(なや)にかけてある火縄銃(ひなわじゅう)をとって、火薬をつめました。
 そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間(どま)に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口(つつぐち)から細く出ていました。

※償いを通り越して、兵十との深いかかわりを願っていた「ごん」に、なんとむごい・悲しい 結果でしょう。「ごん」がいくら兵十に気持ちを寄せても、兵十にとっての「ごん」は、貧しい 生活を脅かす憎い存在でしかなく、結局は、「死」をもってしか理解し合えなかった、お互い の存在だったのです。
  その、何ともやるせない、「銃を撃つ前に、何とかならなかったのかなあ」という、深い悲 しみやため息が、読者の胸に刻み込まれ、読後の深い沈黙となっていくのです。  
  50年以上にもわたって国語教科書に掲載され、日本人の心をとらえて離さない訳、言い かえれば、長く日本人に愛され続ける理由がここにあると思われます。
   
  かつて、この「ごんぎつね」を勉強したとき、撃たれて死んだ「ごん」が「かわいそう」とい う子どもが多い中、「死んだ」とは書いてないから、「ごん」は「死んでない」という子がいま した。「死んだ」とばかり思っていた子どもたちも、はっとしたようになり、「そうだ、死んでい ないんだ」と喜んだ子が増えました。
私としては、死をもってしか償えなかった「ごん」の無念さに共感する心が、現在にいたる まで「ごんぎつね」が愛され続けた理由だと思いたいです。

  勝手きわまる私見を、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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  1. 2010/10/24(日) 09:41:15|
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