コールJUNブログ

コールJUNホームページを補足する。写真も掲載。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

アラ・セブ おやじの、長距離?ドライブ 紀 行

                 平成22年12月18日 
                 コールJUN(バリトン) 伊 藤 幸 二

 11月28日(日)の流山合唱祭を歌い終え、月末のミレニアム・ハーモニーの、「サンライズ」慰問コンサートも無事に済ませ、師走の初日から8日まで、柏から山陰・島根県の出雲市まで(義妹の息子の結婚式とご無沙汰続きの墓参りも兼ねて)、初めてオンボロ車での長距離ドライブを決行した。

現役サラリーマン時代(アラサー、アラフォー?)には、2回に亘る大阪勤務時(結婚後併せて10年程、兵庫県の西宮と芦屋での社宅生活)には、車での山陰行きは、何度か経験済みだったが、関東から山陰まで車での旅行は初経験であり、年齢を考えると、ちょっと無謀?かなと思ったが、、、、時間はたっぷりあるし、何とか往復、2千キロ位なら、途中休み休みの運転で、何とかなるだろうと、、、不安ながらも出発した次第。
 結婚以来、出雲へは何十回も、家族連れや単独で行っているが、殆んどは飛行機か新幹線岡山駅経由、伯備線米子廻りであった。
今では廃止となってしまった、東京駅18時発、翌朝出雲市駅着の寝台特急「出雲号」での春や夏休みの旅行は、3人の子供達にとっては、遥か昔の懐かしい旅の想い出になっている。

さて、、、高速料金を考えると、日曜の移動が必須だが、月末の流山合唱祭参加で、それも無理、帰り道も結婚式等の日程もあり、翌5日の日曜日の移動は適用となるが、、、、当初予定していた、津和野や隣の山口県の萩、下関見物には高速道も無く、利用する機会はなしで、今回は1000円高速の恩恵?には与れなかった。

結婚式が4日(土)なので、前日迄に出雲に到着すれば何とかなると、12月1日
早朝5時、常磐高速道、柏から首都高速を抜け、東名豊田インターまで一気に走り、、伊勢湾岸道で四日市まで、3回の休憩を入れて、約6時間、天気晴朗冬晴れの富士山を眺め乍、11時前には、約450キロを走行し四日市に到着した。
故郷に眠る両親の墓参りを済ませ、菩提寺への挨拶は失礼して、直ぐ東名阪道四日市東インターに戻り、西名阪道を経由して、近畿自動車道、門真・守口インターで、15時過ぎに高速を降り、東大阪に住む義妹の家に、道に迷いながらも到着。
四日市での墓参と数回の休憩も含めて、約10時間ほど掛けて、約600キロを無事に走破したが、、、運転終盤は目がしょぼついて、グロッキー寸前の状態だった。
当日、夕方18時半から、大阪シンフォニーホール(北福島)で、義妹の末娘の演奏会(大阪芸大の特別演奏会)を聴く予定もあり、此れにも何とか間に合って、サンサーンス作曲「交響曲3番パイプオルガン付」を半分眠り?ながらの観賞となったが、ホルンを吹く姪には祝儀も弾んで、、、漸く、、、ぐったり状態で今宵の宿に辿り着いた。
 さすがに初日のドライブは疲れた。早朝の首都高通過はスムーズだったが、東名、名阪道は日本の大動脈高速道路であり、トラックが多く、追い越し車線での走行は100キロ以上となり強烈な緊張の連続が続き、一人運転で良くぞ耐えたものである。
助手席の家内は、高速道は怖くて運転なんか出来ないと言いながら、平気で爆睡?出来るんだから、ゲゲゲの女房?恐るべしである。
3日(金)までに出雲に到着すれば結婚式には間に合うので、翌日は出雲行きに備えて、義妹(寡婦)の家で休息日とし、近くに住む、姪っ子達(3姉妹とその孫)と会食したりして、ゆっくりと過ごした。

翌日、車に義妹も乗せて、8時過ぎに守口市の第2京阪高速に入り、近畿自動車道から宝塚インター経由、山陽自動車道・姫路西を目指す。
姫路に住む、家内の従姉妹(30年ぶりの再会?)と昼頃まで、2時間ほど会食して、、13時前に再び山陽道経由、中国自動車道に入り、岡山県の落合インターから米子自動車道で、米子からは山陰自動車道に入り、安来、松江から宍道湖を経て、出雲市まで、約350キロ(姫路での寄り道を含め)、約8時間で到着した。
途中の高速は空いていたが、前日夜半からの荒天で時雨混じりの中、中国山地を縦断し、夕暮れ迫る頃、風は強いが宍道湖付近では晴れ間も見え始め、出雲市でようやく高速を降りた(この先は一般国道9号線になる)。
其の先は、出雲市西郊の家内の郷まで、出雲市内の9号線を10分程走り抜け、荒海の日本海が見え始めると、直ぐ、家内の弟夫婦と其の娘夫婦で経営する、小さな田舎のお宿、「はたご・小田温泉」の実家に到着。この辺りから、2キロほどは、日本海を見ながら9号線を走れるが、その先は浜田市近郊まで、海は見えない。
実家(小田温泉)は、裏側には山が迫り、海岸までは300メートル程で、小さな河畔の素朴な一軒宿だが、家内の祖父が大正時代から細々と続けてきたそうだ。
冷泉ながら自噴のマイナスイオンたっぷりの温泉で、7室しかない小さな割烹旅館。
最近はネットで探して、鄙びた隠れ宿として、来訪する客も多くなったとかで、週末は結構忙しいようだ。
到着早々、宿から歩いて5分ほどの高台にある、海の見える両親の墓参りを済ませた。夕暮れには間に合って、冬には珍しく稀?な、日本海に沈む夕日が見事だった。
ようやく疲れた体を温泉で癒し、久し振りの義弟達と一献傾け、久闊を叙した夜になり、2日間で約1000キロ近い運転の疲れからか、直ぐに酔いつぶれ、寝てしまった。

翌日4日(土)はこの時期の山陰には珍しく、好天の小春日和となり、清清しい空気が漂う出雲大社境内の松の緑と静謐な社殿が映え、日本海から吹き寄せる磯の香りも微かに感じられる中、10時過ぎから神楽殿(本殿と間違って、参拝するあわて者もいるらしい)にて、両家の親兄弟姉妹と親族だけの簡素な結婚式に参席。
今時では珍しい?神式の本家本元での挙式だったが、今でも挙式の申し込みが多くて、快適な季節の10月や11月は満杯だそうで、漸く順番が廻ってきて、オフシーズン乍今日の結婚式となったそうだ。
久し振りに見る、両家親族の女性の着物姿もあでやかで、冬晴れの出雲大社の雰囲気もあって、神殿の挙式も記念撮影にも、大勢の一般観光客が見守る中での晴れやかな結婚式絵巻が繰り広げられた。
挙式後の記念撮影も終わり、市内ホテルのバスで移動し、夕方4時頃まで延々とホテルでの披露宴が続いたが、、、疲労も極限?、、、、、、何とか夕方までに宿に帰り着いた。
此れで予定の前半が無事終了となった。あとは、翌日曜日の朝からの帰り旅になる。

予定は未定?、、、行き当たりばったりの、帰り路は、、迷走旅?の始まりでもあった。
当初の予定では、津和野を見て、山口県に入り、崇拝する吉田松陰や高杉晋作ゆかりの、萩や下関を訪れ、一泊後、数年前に故郷の広島に戻った家内の友人(柏時代のテニス仲間)のお誘いもあり、安芸の宮島見物の後、その友人宅に泊めて貰い、翌日は尾道を経由して倉敷の美術館を観て、神戸か京都でもう一泊し、8日(水)には、名神・東名経由、一気に柏まで帰る計画だった。、、、、が、全く予定どうりには行かぬ事態になってしまった。

まだまだ長々と、迷文・紀行?が続くんです。くたびれた方々はこの辺で小休止して下さいね。あほらしくて付き合いきれぬ御仁は、、、この辺で、、、諦めてくださいね。

さてさて、当初は広島入りは6日(月)の予定だったが、広島の友人から、突然5日に変更して欲しいとの連絡が入り、急遽、5日の津和野、萩行きはご破算とし、出雲から西70キロほどの浜田まで国道9号を走り、浜田高速道から広島自動車道で広島西郊の廿日市インターまで(約100キロほど)を約3時間掛けて走行し、昼過ぎに、厳島の対岸にある宮島口に到着した。ここで家内の友人と待ち合わせ、宮島(厳島神社とその近辺)をたっぷりと案内してもらった。
小生は安芸の宮島は始めてであり、船で10分ほどの距離ながら、世界遺産、厳島神社を満喫した。800年も前に平清盛が建立した見事な世界遺産に感動。
この日も小春日和で暖かく、ちょうど干潮で、朱色の鳥居まで歩いて行けたが、やはり満ち潮の海に浮かぶ朱色が映える厳島神社が見たかったが、自然の摂理には逆らえない。
島の空気が清浄なのか、久し振りに海と山の精気を感じた。残念ながら紅葉ほぼ終わっていたが、当日は日曜日とあって夕暮れ時なのに、外人の観光客も多く神社までの道筋の店屋も大繁盛の有様だった。
そこここの店先で名物の生牡蠣を焼いており、醤油をたらして熱々を食べた旨さは格別。丁度日暮れを観ながらの帰船になり、夕暮れ時迄には宮島から近い友人宅に到着。
当夜は豪勢な友人の別宅に泊めてもらい、近くのイタリアンでのフルコースをご馳走になり、少々ワインを飲み過ぎ、ダウン寸前になっての御帰館となった。

翌日6日(月)の予定は、尾道市内でてっぱん焼きでも食して、昼過ぎには倉敷に到着したいと思い、ご主人に相談したら、尾道で降りるなら、序に”しまなみ海道”を見物したらとの提案があり、山陽道を80キロほどで到着可能、但し9時までに西瀬戸自動車道(しまなみ海道)に入らないと、高い高速代が半額にならないとの事で、本来は、7時頃に出発する積りが、大チョンボ、目覚まし時計のかけ忘れか寝過ごしてしまい、結局8時頃の遅い出発となり、、、、迷走の始まりとなった。
尾道は通過だけで、何とか9時に間に合わそうとしたが、料金所には9時半過ぎとなってしまい、、、、そのまま”しまなみ海道”に突入。
次々と瀬戸内海に浮かぶ島々を繋ぐ橋を渡り、最後の来島海峡(大橋)を渡ると、四国今治に到着である。片道だけで4千円近い通行料となってしまったが、仕方なし。
途中の因島や生口島(平山郁夫美術館)に立ち寄ればとも思ったが、、運転しながらの思案ではドウシヨウモナイ。結局最後の来島海峡のパーキング(四国)で、快晴ながら春霞のような瀬戸内海の絶景(瀬戸内海航路の中心)を暫し堪能し、早めの昼飯で大休止とした。

さてこの後どうするか、今更尾道には戻れない、午後3時頃までに、倉敷に着くには、このまま四国今治で高速を降り、瀬戸内海側を走る高松道で、愛媛の西条、新居浜から香川の坂出を経由、”瀬戸大橋”を渡って倉敷入りするしかない。
瀬戸内海に沿って、約170キロほどの走行になり、倉敷到着は14時半頃となった。
近くのパーキングに車を止め、大原美術館に直行したが、途中の道筋がなんとなく閑散としており、美術館付近一帯の美観地区も人がまばらで、なんか変と思いながら、美術館に到着、、、なんと月曜休館日、あちょー、、、気がつかなんだよ。
しゃーない、、、近くに宿を探して、明日朝一番乗りで観賞する事にした。
美術館の隣に「倉敷国際ホテル」があり、フロントで料金を聞いたが、高い部屋しか空いて無いとのこと、諦めて直ぐ近くの天然温泉付ビジネスホテルを見つけ、ここに決めた。 結構新しく清潔で、掘り出し物のホテルだった。 夜ゆっくり眠るだけだから、こういう旅には何も高いホテルに泊まる必要は無いと痛感。
最上階の温泉施設も素晴らしく、ビジネスマンだけでなく夫婦連れや家族も結構利用してるようだった。
翌朝(7日・火)も快晴、9時開館に間に合うよう、8時半にホテルを出て付近を散策し、美術館には一番の入場となった。イヤホーン付の説明装置を借りて閑静な館内をゆっくりと2時間ほどかけて、3度目(20年ぶり)になる大原美術館を堪能した。
丁度、先週末で、9月から開催していた大原美術館80周年記念「大原ベストセレクション展」が終わったところで、今週から展示換えに入るところだが、まだそのままの展示作が大半で、館員の人から、今日の入場者はラッキーとの事で、美術館所蔵の逸品に巡り合う最高の日(静寂な館内での観賞ができた)となった。
日本にある最高の傑作、エル・グレコの「受胎告知」を観れただけで大満足し、他の印象派の多くの絵画の逸品等もあまり印象に残らなかったのは、この作品を観た衝撃か?。
お昼までに美術館を終えて、ホテルに預けた荷物を車に積み込み、いよいよ本日最後の行程に入った。
倉敷インターから山陽道を経て、2時頃までに神戸を経由し、西宮で一旦高速を降りて、1時間ほど大阪勤務時代の住家を訪ねて見る事にした。
急な思いつきで、30年以上前の想い出探し?になったが、新婚時代の阪急西宮北口駅近くのマンションは、関西一のショッピングセンターに大変貌し、跡形もなく、その後移り住んだ、芦屋のマンションも震災後?に建て替えられていたが、六甲山麓の高台に建つその場所からは往時と同じ、部屋に寝転んだままで、大阪湾が一望でき、淡路島や紀伊半島、関西空港まで見える最高のロケーションのままだった。
2回目の大阪勤務では、阪急夙川から山側に入った苦楽園での借り上げマンション生活だったが、震災にも耐えてリニュアールされ、30年前と変わらぬ当時のままで、11階建の分譲マンションとして機能していた。その後、子供達の通った中学や小学校も廻って、宝塚方面までは時間がなく、名神高速西宮インターを探して戻る事にした。
さて、時計を見れば15時を過ぎており、あと2~3時間以内で到着できる所で、今夜の宿泊をと思案しながら、甲子園球場そばの名神インター入り口を探し、高速標示に従って走行したが、30年前と道路状況は大きく変わって、大阪方面に向かう高速道路が複数出来ており、何となく、甲子園浜の海岸寄りの阪神高速に乗ってしまった。
なんと海の上を立派な高速道が出来ており、今更名神西宮入り口には戻れなく、そのまま大阪方面に向かった。大阪港方面への高速道で、大阪環状にも接続しているが、関西空港方面行きの高速道となり、大阪経由で京都か琵琶湖近辺に行くにはかなりの大回りのコースとなる事が解った。
大阪に到達するまでの間に、今日の宿をどうするか決めねばならず、明日の帰りの運転距離を考えると、今日中には出来るだけ東京に近い所まで行っておきたい。
名古屋近辺迄行ければベストだと思い、この時点で京都や琵琶湖近辺での宿泊は諦め、思案しているうちに東大阪JCT近辺に到着してしまった。
時間は既に4時を過ぎている、あと2時間ほどの運転が限界(倉敷からすでに200キロは走ってきている)だし、即断するしかない。
大阪環状高速で名神高速入りは遠回りになるので、近畿道に入って、初日と同じ道順の西名阪道で名古屋まで突っ走る事に決めた。
2時間ほど(150キロ)走れば、6時過ぎには到着できると予測して、名古屋方面を目指した。奈良、天理から鈴鹿までは順調に走行できたが、四日市に近くなると渋滞に遭遇してしまい、のろのろ運転に巻き込まれてしまった。
6時を過ぎてようやく四日市インターに到着、、、、又もや方針変更、今宵は勝手知った四日市泊りにする事にした。駅近辺のビジネスホテルは、どこも満員で安宿は無理かと諦めかけたが、やっと見つけ出し7時過ぎに漸くホテル入りとなった。
疲れもピークで、結婚式以来風邪気味が続く家内の体調回復と、小生の疲労を吹き飛ばそうと、今宵は焼肉カルビをたらふく食う事にした。

翌8日の最終日、高速入りの前に、初日に続く2度目の墓参りをした。なんか昨夕の渋滞は、亡き両親が呼び寄せたんでは?と、、、不思議な因縁話?になってしまった。
初日は今年1年間の無事に感謝のお参りで、今回は来年も家族の無事を見守って貰うお参りだと勝手に解釈して、1週間に2度の墓参り後、伊勢湾岸道から往きと同じ豊田インターから東名高速道を一路東京に向かい、柏インターには、夕方5時過ぎに無事に到着した。
8日間で往復、約2,250キロ余の長旅が漸く終了した。
ああーしんどかった!よくも無事に帰ったもんだ。神のご加護か?、、、、、、こんな機会はもう無いと思う、、、、、、、、ちょっぴりセンチメンタルジャーニーの気分になった。

今回の旅先の出雲の清浄な空気や、宮島の精気か、はたまた瀬戸内海のオゾンをたっぷり浴びたお陰か? 秋の静岡コーラス合宿前から、気管支喘息気味?の咳症状に悩まされていたが、旅行途中から咳も治まり、この旅行のお陰で、完治?したらしい。
医者もさじを投げてた?のに、、、何故か?実に不可解な現象である。
今回のドライブで、日本の高速道路網の充実に驚き、特に”しまなみ海道”や”瀬戸大橋”の巨大な橋の建設に日本の国力の凄さも実感した。又西日本(ほんの一部だが)の通過し滞在した町や観光地の繁栄や整備の充実にも驚いた。借金大国になる筈だ。
特に震災後の神戸や西宮の変貌、発展には、過去の思い入れがある為か余計に感動した。
又今回の旅で、山陰は山と海に囲まれて、我々が住む都会の空気と全く違う。未だにゆるやかな時間が流れているようで、残り少ない風情と故郷の香りがちょっぴり残っている所だと思う。皆さんも、お暇?なら、、、山陰の旅はお勧めですよ。
お暇な折に、ネットで「はたご小田温泉」も検索してみて下さいね。

以上長々とお付き合い頂き、お疲れ様でした。こんなに長文な旅行記になるとは、、、、では、、、またの機会にブログででもお会いしましょう。
     2010年12月18日   コールJUN(バリトン)伊藤幸二

                   平成22年12月18日 
                   コールJUN(バリトン) 伊 藤 幸 二

 11月28日(日)の流山合唱祭を歌い終え、月末のミレニアム・ハーモニーの、
「サンライズ」慰問コンサートも無事に済ませ、師走の初日から8日まで、柏から山陰・島根県の出雲市まで(義妹の息子の結婚式とご無沙汰続きの墓参りも兼ねて)、初めてオンボロ車での長距離ドライブを決行した。

現役サラリーマン時代(アラサー、アラフォー?)には、2回に亘る大阪勤務時(結婚後併せて10年程、兵庫県の西宮と芦屋での社宅生活)には、車での山陰行きは、何度か経験済みだったが、関東から山陰まで車での旅行は初経験であり、年齢を考えると、ちょっと無謀?かなと思ったが、、、、時間はたっぷりあるし、何とか往復、2千キロ位なら、途中休み休みの運転で、何とかなるだろうと、、、不安ながらも出発した次第。
 結婚以来、出雲へは何十回も、家族連れや単独で行っているが、殆んどは飛行機か新幹線岡山駅経由、伯備線米子廻りであった。
今では廃止となってしまった、東京駅18時発、翌朝出雲市駅着の寝台特急「出雲号」での春や夏休みの旅行は、3人の子供達にとっては、遥か昔の懐かしい旅の想い出になっている。

さて、、、高速料金を考えると、日曜の移動が必須だが、月末の流山合唱祭参加で、それも無理、帰り道も結婚式等の日程もあり、翌5日の日曜日の移動は適用となるが、、、、当初予定していた、津和野や隣の山口県の萩、下関見物には高速道も無く、利用する機会はなしで、今回は1000円高速の恩恵?には与れなかった。

結婚式が4日(土)なので、前日迄に出雲に到着すれば何とかなると、12月1日
早朝5時、常磐高速道、柏から首都高速を抜け、東名豊田インターまで一気に走り、、伊勢湾岸道で四日市まで、3回の休憩を入れて、約6時間、天気晴朗冬晴れの富士山を眺め乍、11時前には、約450キロを走行し四日市に到着した。
故郷に眠る両親の墓参りを済ませ、菩提寺への挨拶は失礼して、直ぐ東名阪道四日市東インターに戻り、西名阪道を経由して、近畿自動車道、門真・守口インターで、15時過ぎに高速を降り、東大阪に住む義妹の家に、道に迷いながらも到着。
四日市での墓参と数回の休憩も含めて、約10時間ほど掛けて、約600キロを無事に走破したが、、、運転終盤は目がしょぼついて、グロッキー寸前の状態だった。
当日、夕方18時半から、大阪シンフォニーホール(北福島)で、義妹の末娘の演奏会(大阪芸大の特別演奏会)を聴く予定もあり、此れにも何とか間に合って、サンサーンス作曲「交響曲3番パイプオルガン付」を半分眠り?ながらの観賞となったが、ホルンを吹く姪には祝儀も弾んで、、、漸く、、、ぐったり状態で今宵の宿に辿り着いた。
 さすがに初日のドライブは疲れた。早朝の首都高通過はスムーズだったが、東名、名阪道は日本の大動脈高速道路であり、トラックが多く、追い越し車線での走行は100キロ以上となり強烈な緊張の連続が続き、一人運転で良くぞ耐えたものである。
助手席の家内は、高速道は怖くて運転なんか出来ないと言いながら、平気で爆睡?出来るんだから、ゲゲゲの女房?恐るべしである。
3日(金)までに出雲に到着すれば結婚式には間に合うので、翌日は出雲行きに備えて、義妹(寡婦)の家で休息日とし、近くに住む、姪っ子達(3姉妹とその孫)と会食したりして、ゆっくりと過ごした。

翌日、車に義妹も乗せて、8時過ぎに守口市の第2京阪高速に入り、近畿自動車道から宝塚インター経由、山陽自動車道・姫路西を目指す。
姫路に住む、家内の従姉妹(30年ぶりの再会?)と昼頃まで、2時間ほど会食して、、13時前に再び山陽道経由、中国自動車道に入り、岡山県の落合インターから米子自動車道で、米子からは山陰自動車道に入り、安来、松江から宍道湖を経て、出雲市まで、約350キロ(姫路での寄り道を含め)、約8時間で到着した。
途中の高速は空いていたが、前日夜半からの荒天で時雨混じりの中、中国山地を縦断し、夕暮れ迫る頃、風は強いが宍道湖付近では晴れ間も見え始め、出雲市でようやく高速を降りた(この先は一般国道9号線になる)。
其の先は、出雲市西郊の家内の郷まで、出雲市内の9号線を10分程走り抜け、荒海の日本海が見え始めると、直ぐ、家内の弟夫婦と其の娘夫婦で経営する、小さな田舎のお宿、「はたご・小田温泉」の実家に到着。この辺りから、2キロほどは、日本海を見ながら9号線を走れるが、その先は浜田市近郊まで、海は見えない。
実家(小田温泉)は、裏側には山が迫り、海岸までは300メートル程で、小さな河畔の素朴な一軒宿だが、家内の祖父が大正時代から細々と続けてきたそうだ。
冷泉ながら自噴のマイナスイオンたっぷりの温泉で、7室しかない小さな割烹旅館。
最近はネットで探して、鄙びた隠れ宿として、来訪する客も多くなったとかで、週末は結構忙しいようだ。
到着早々、宿から歩いて5分ほどの高台にある、海の見える両親の墓参りを済ませた。夕暮れには間に合って、冬には珍しく稀?な、日本海に沈む夕日が見事だった。
ようやく疲れた体を温泉で癒し、久し振りの義弟達と一献傾け、久闊を叙した夜になり、2日間で約1000キロ近い運転の疲れからか、直ぐに酔いつぶれ、寝てしまった。

翌日4日(土)はこの時期の山陰には珍しく、好天の小春日和となり、清清しい空気が漂う出雲大社境内の松の緑と静謐な社殿が映え、日本海から吹き寄せる磯の香りも微かに感じられる中、10時過ぎから神楽殿(本殿と間違って、参拝するあわて者もいるらしい)にて、両家の親兄弟姉妹と親族だけの簡素な結婚式に参席。
今時では珍しい?神式の本家本元での挙式だったが、今でも挙式の申し込みが多くて、快適な季節の10月や11月は満杯だそうで、漸く順番が廻ってきて、オフシーズン乍今日の結婚式となったそうだ。
久し振りに見る、両家親族の女性の着物姿もあでやかで、冬晴れの出雲大社の雰囲気もあって、神殿の挙式も記念撮影にも、大勢の一般観光客が見守る中での晴れやかな結婚式絵巻が繰り広げられた。
挙式後の記念撮影も終わり、市内ホテルのバスで移動し、夕方4時頃まで延々とホテルでの披露宴が続いたが、、、疲労も極限?、、、、、、何とか夕方までに宿に帰り着いた。
此れで予定の前半が無事終了となった。あとは、翌日曜日の朝からの帰り旅になる。

予定は未定?、、、行き当たりばったりの、帰り路は、、迷走旅?の始まりでもあった。
当初の予定では、津和野を見て、山口県に入り、崇拝する吉田松陰や高杉晋作ゆかりの、萩や下関を訪れ、一泊後、数年前に故郷の広島に戻った家内の友人(柏時代のテニス仲間)のお誘いもあり、安芸の宮島見物の後、その友人宅に泊めて貰い、翌日は尾道を経由して倉敷の美術館を観て、神戸か京都でもう一泊し、8日(水)には、名神・東名経由、一気に柏まで帰る計画だった。、、、、が、全く予定どうりには行かぬ事態になってしまった。

まだまだ長々と、迷文・紀行?が続くんです。くたびれた方々はこの辺で小休止して下さいね。あほらしくて付き合いきれぬ御仁は、、、この辺で、、、諦めてくださいね。

さてさて、当初は広島入りは6日(月)の予定だったが、広島の友人から、突然5日に変更して欲しいとの連絡が入り、急遽、5日の津和野、萩行きはご破算とし、出雲から西70キロほどの浜田まで国道9号を走り、浜田高速道から広島自動車道で広島西郊の廿日市インターまで(約100キロほど)を約3時間掛けて走行し、昼過ぎに、厳島の対岸にある宮島口に到着した。ここで家内の友人と待ち合わせ、宮島(厳島神社とその近辺)をたっぷりと案内してもらった。
小生は安芸の宮島は始めてであり、船で10分ほどの距離ながら、世界遺産、厳島神社を満喫した。800年も前に平清盛が建立した見事な世界遺産に感動。
この日も小春日和で暖かく、ちょうど干潮で、朱色の鳥居まで歩いて行けたが、やはり満ち潮の海に浮かぶ朱色が映える厳島神社が見たかったが、自然の摂理には逆らえない。
島の空気が清浄なのか、久し振りに海と山の精気を感じた。残念ながら紅葉ほぼ終わっていたが、当日は日曜日とあって夕暮れ時なのに、外人の観光客も多く神社までの道筋の店屋も大繁盛の有様だった。
そこここの店先で名物の生牡蠣を焼いており、醤油をたらして熱々を食べた旨さは格別。丁度日暮れを観ながらの帰船になり、夕暮れ時迄には宮島から近い友人宅に到着。
当夜は豪勢な友人の別宅に泊めてもらい、近くのイタリアンでのフルコースをご馳走になり、少々ワインを飲み過ぎ、ダウン寸前になっての御帰館となった。

翌日6日(月)の予定は、尾道市内でてっぱん焼きでも食して、昼過ぎには倉敷に到着したいと思い、ご主人に相談したら、尾道で降りるなら、序に”しまなみ海道”を見物したらとの提案があり、山陽道を80キロほどで到着可能、但し9時までに西瀬戸自動車道(しまなみ海道)に入らないと、高い高速代が半額にならないとの事で、本来は、7時頃に出発する積りが、大チョンボ、目覚まし時計のかけ忘れか寝過ごしてしまい、結局8時頃の遅い出発となり、、、、迷走の始まりとなった。
尾道は通過だけで、何とか9時に間に合わそうとしたが、料金所には9時半過ぎとなってしまい、、、、そのまま”しまなみ海道”に突入。
次々と瀬戸内海に浮かぶ島々を繋ぐ橋を渡り、最後の来島海峡(大橋)を渡ると、四国今治に到着である。片道だけで4千円近い通行料となってしまったが、仕方なし。
途中の因島や生口島(平山郁夫美術館)に立ち寄ればとも思ったが、、運転しながらの思案ではドウシヨウモナイ。結局最後の来島海峡のパーキング(四国)で、快晴ながら春霞のような瀬戸内海の絶景(瀬戸内海航路の中心)を暫し堪能し、早めの昼飯で大休止とした。

さてこの後どうするか、今更尾道には戻れない、午後3時頃までに、倉敷に着くには、このまま四国今治で高速を降り、瀬戸内海側を走る高松道で、愛媛の西条、新居浜から香川の坂出を経由、”瀬戸大橋”を渡って倉敷入りするしかない。
瀬戸内海に沿って、約170キロほどの走行になり、倉敷到着は14時半頃となった。
近くのパーキングに車を止め、大原美術館に直行したが、途中の道筋がなんとなく閑散としており、美術館付近一帯の美観地区も人がまばらで、なんか変と思いながら、美術館に到着、、、なんと月曜休館日、あちょー、、、気がつかなんだよ。
しゃーない、、、近くに宿を探して、明日朝一番乗りで観賞する事にした。
美術館の隣に「倉敷国際ホテル」があり、フロントで料金を聞いたが、高い部屋しか空いて無いとのこと、諦めて直ぐ近くの天然温泉付ビジネスホテルを見つけ、ここに決めた。 結構新しく清潔で、掘り出し物のホテルだった。 夜ゆっくり眠るだけだから、こういう旅には何も高いホテルに泊まる必要は無いと痛感。
最上階の温泉施設も素晴らしく、ビジネスマンだけでなく夫婦連れや家族も結構利用してるようだった。
翌朝(7日・火)も快晴、9時開館に間に合うよう、8時半にホテルを出て付近を散策し、美術館には一番の入場となった。イヤホーン付の説明装置を借りて閑静な館内をゆっくりと2時間ほどかけて、3度目(20年ぶり)になる大原美術館を堪能した。
丁度、先週末で、9月から開催していた大原美術館80周年記念「大原ベストセレクション展」が終わったところで、今週から展示換えに入るところだが、まだそのままの展示作が大半で、館員の人から、今日の入場者はラッキーとの事で、美術館所蔵の逸品に巡り合う最高の日(静寂な館内での観賞ができた)となった。
日本にある最高の傑作、エル・グレコの「受胎告知」を観れただけで大満足し、他の印象派の多くの絵画の逸品等もあまり印象に残らなかったのは、この作品を観た衝撃か?。
お昼までに美術館を終えて、ホテルに預けた荷物を車に積み込み、いよいよ本日最後の行程に入った。
倉敷インターから山陽道を経て、2時頃までに神戸を経由し、西宮で一旦高速を降りて、1時間ほど大阪勤務時代の住家を訪ねて見る事にした。
急な思いつきで、30年以上前の想い出探し?になったが、新婚時代の阪急西宮北口駅近くのマンションは、関西一のショッピングセンターに大変貌し、跡形もなく、その後移り住んだ、芦屋のマンションも震災後?に建て替えられていたが、六甲山麓の高台に建つその場所からは往時と同じ、部屋に寝転んだままで、大阪湾が一望でき、淡路島や紀伊半島、関西空港まで見える最高のロケーションのままだった。
2回目の大阪勤務では、阪急夙川から山側に入った苦楽園での借り上げマンション生活だったが、震災にも耐えてリニュアールされ、30年前と変わらぬ当時のままで、11階建の分譲マンションとして機能していた。その後、子供達の通った中学や小学校も廻って、宝塚方面までは時間がなく、名神高速西宮インターを探して戻る事にした。
さて、時計を見れば15時を過ぎており、あと2~3時間以内で到着できる所で、今夜の宿泊をと思案しながら、甲子園球場そばの名神インター入り口を探し、高速標示に従って走行したが、30年前と道路状況は大きく変わって、大阪方面に向かう高速道路が複数出来ており、何となく、甲子園浜の海岸寄りの阪神高速に乗ってしまった。
なんと海の上を立派な高速道が出来ており、今更名神西宮入り口には戻れなく、そのまま大阪方面に向かった。大阪港方面への高速道で、大阪環状にも接続しているが、関西空港方面行きの高速道となり、大阪経由で京都か琵琶湖近辺に行くにはかなりの大回りのコースとなる事が解った。
大阪に到達するまでの間に、今日の宿をどうするか決めねばならず、明日の帰りの運転距離を考えると、今日中には出来るだけ東京に近い所まで行っておきたい。
名古屋近辺迄行ければベストだと思い、この時点で京都や琵琶湖近辺での宿泊は諦め、思案しているうちに東大阪JCT近辺に到着してしまった。
時間は既に4時を過ぎている、あと2時間ほどの運転が限界(倉敷からすでに200キロは走ってきている)だし、即断するしかない。
大阪環状高速で名神高速入りは遠回りになるので、近畿道に入って、初日と同じ道順の西名阪道で名古屋まで突っ走る事に決めた。
2時間ほど(150キロ)走れば、6時過ぎには到着できると予測して、名古屋方面を目指した。奈良、天理から鈴鹿までは順調に走行できたが、四日市に近くなると渋滞に遭遇してしまい、のろのろ運転に巻き込まれてしまった。
6時を過ぎてようやく四日市インターに到着、、、、又もや方針変更、今宵は勝手知った四日市泊りにする事にした。駅近辺のビジネスホテルは、どこも満員で安宿は無理かと諦めかけたが、やっと見つけ出し7時過ぎに漸くホテル入りとなった。
疲れもピークで、結婚式以来風邪気味が続く家内の体調回復と、小生の疲労を吹き飛ばそうと、今宵は焼肉カルビをたらふく食う事にした。

翌8日の最終日、高速入りの前に、初日に続く2度目の墓参りをした。なんか昨夕の渋滞は、亡き両親が呼び寄せたんでは?と、、、不思議な因縁話?になってしまった。
初日は今年1年間の無事に感謝のお参りで、今回は来年も家族の無事を見守って貰う
お参りだと勝手に解釈して、1週間に2度の墓参り後、伊勢湾岸道から往きと同じ豊田インターから東名高速道を一路東京に向かい、柏インターには、夕方5時過ぎに無事に到着した。
8日間で往復、約2,250キロ余の長旅が漸く終了した。
ああーしんどかった!よくも無事に帰ったもんだ。神のご加護か?、、、、、、こんな機会はもう無いと思う、、、、、、、、ちょっぴりセンチメンタルジャーニーの気分になった。

今回の旅先の出雲の清浄な空気や、宮島の精気か、はたまた瀬戸内海のオゾンをたっぷり浴びたお陰か? 秋の静岡コーラス合宿前から、気管支喘息気味?の咳症状に悩まされていたが、旅行途中から咳も治まり、この旅行のお陰で、完治?したらしい。
医者もさじを投げてた?のに、、、何故か?実に不可解な現象である。
今回のドライブで、日本の高速道路網の充実に驚き、特に”しまなみ海道”や”瀬戸大橋”の巨大な橋の建設に日本の国力の凄さも実感した。又西日本(ほんの一部だが)の通過し滞在した町や観光地の繁栄や整備の充実にも驚いた。借金大国になる筈だ。
特に震災後の神戸や西宮の変貌、発展には、過去の思い入れがある為か余計に感動した。
又今回の旅で、山陰は山と海に囲まれて、我々が住む都会の空気と全く違う。未だに
ゆるやかな時間が流れているようで、残り少ない風情と故郷の香りがちょっぴり残っている所だと思う。皆さんも、お暇?なら、、、山陰の旅はお勧めですよ。
お暇な折に、ネットで「はたご小田温泉」も検索してみて下さいね。
”だんだん!”

以上長々とお付き合い頂き、お疲れ様でした。こんなに長文な旅行記になるとは、、、、では、、、またの機会にブログででもお会いしましょう。

スポンサーサイト
  1. 2010/12/21(火) 09:02:54|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<第九行脚  | ホーム | 「ごんぎつね」>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kilimanjaro.blog5.fc2.com/tb.php/112-af541758
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

kilimanjaro     

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。