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50年前の思い今叶う(ヨーロッパへの旅)

                                   2012.7.31 安 邦男
 一昨年、中学時代に習った“ローレライ”の歌に想像を掻き立てられ、かつ憧れたライン川で川下りをすることができた。ローレライを見たいという50数年前の思いが、やっと叶った。しかし、かつての想像に反してローレライ付近の川は、スイスの源流から5百数十キロも下っていることもあり、流れはやや速いと感じたが、水量は豊かでゆったりと流れていた。スイスのバーゼルまで3000トン級の大型船が往来できるとは、驚きであった。実際に見たライン川は、水路と両岸の道路に多くの船や車が行き交う交通の大動脈であった。かつてのローレライ付近は、川幅も狭く、多くの船が水面下の岩礁にぶつかって難破した所である。このため、幾度も川幅を広げたり、暗礁を取り除く工事をして現在に至ったようである。私は、日本の深山幽谷のような風景を想像していたので、予想は全く外れ、中学時代に抱いた妖精への淡い思いもはかなく消えた。
両岸の傾斜地には、ブドウ畑が延々と広がり、所々に城塞が建っていた。城塞は、城主が川を行き来する船から通行税を取るために建てたもので、税関のような機能をしていたようだ。
傾斜地の上は、なだらかな平地が広がっているように見え、ローレライの歌にあるような山々は見えなかった。それにしても、この傾斜地は広くて延々と続く。広大なブドウ畑で栽培されるブドウの手入れや収穫、運び出しは、どのようにしているのだろうか? 機械に頼らず、手作業でやっているとしたらのどのようにしているのだろか? などと少なからず気になった。狭い土地を借りて農業の真似ごとをしている私には、気になる光景であった。
 乗船して間もなく、現地の老夫婦が目に留まった。奥様は、手に詩集を持っておられた。
「ローレライ?」と言うと、その部分を開いて歌を歌ってくれた。更に、コールJUNで練習中の“O Tannenbanm(もみの木)”の朗読もお願いし、録音させて頂いた。これで発音は、バッチリ……???

今年の5月には、中欧に行った。主な目的は、約50年前に映画で見た“THE SOUND OF MUSIC”のイメージが残るオーストリアのザルツブルグや音楽の都ウィーン、そして昨年、流山市合唱連盟15周年を記念して第九を演奏した際にご指導を頂いた指揮者の「武藤 英明」先生が活躍されるプラハの町を見ることであった。
最初のザルツブルグに入るとすぐ、滑らかに響くピアノの音が聞こえてきた。窓を開けっ放しにして、一人の生徒さんが一生懸命に練習をしていた。添乗員の説明では、音楽家を目指す若者が、世界中から集まり、研鑽に励んでいるとのこと。
そこを通り過ぎると、ここザルツブルグで生まれ、世界的指揮者として活躍したカラヤンの像があった。
P1010490.jpg
更に少し進むと、“サウンド オブ ミュージック”が撮影された憧れのミラベル庭園や果物を売っていた屋台などが見えて来た。公園の奥に見える建物などで「ドレミの歌」や「さようなら ごきげんよう」などが歌われ、撮影されたその場所なのだ。
5オクターブの音域を持つと言うジュリー・アンドリュウスの高音で透き通った柔らかな声、子供たちの澄ん声、そしてトラップ大佐とマリアによる「エーデルワイス」の歌などを今も思い出す。特にエーデルワイスは、トラップ大佐がドイツからの召集を嫌って故郷との別れを決意し、大勢が集まった祭りの会場で歌った歌であった。この時トラップ大佐は、感極まって歌の途中で声が出なくなったが、途中でマリアが大佐を支えて歌い出し、事情を知っている人々と共に会場中が大合唱になった歌である。その後、美しいアルプスをバックにスイスに逃げる一家の姿は、今も記憶に残っている。
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 ザルツブルグは、モーツアルト生誕の地で、その建物は黄色に塗られて長い旗が垂れ下がっていた。今は資料館として、モーツアルト直筆の楽譜や実際に使った楽器などが展示されているとのことであった。
生誕の地から少し奥まった所に、モーツアルトに捧げる「ザルツブルグ音楽祭」のメーン会場となる「祝祭劇場」があった。正に音楽の町である。
なお、添乗員の説明では、オーストリアは、クリスマスの日に世界中で歌われる「きよしこの夜」が作曲され、初演された国だそうである。首都であるウィーンは、音楽の町であると同時に、数多くの歴史的建造物が残る町でもあった。
次の写真は、ハプスブルグ家の離宮として造られ、マリアテレジアの時代に完成したシェーンブルン宮殿である。P1010507.jpg
外壁の色は、女帝が好んだマリアテレジアンイエローと呼ばれる黄色で統一されていた。裏庭も広大で綺麗に手入れされていて素晴らしかった。
ウィーン郊外にあるウィーンの森は、ヨーロッパ・アルプスの北東端にあって、なだらかな丘陵という感じだった。豊かな自然が残されており、ウィーン市民の別荘地になっているとのことだった。森の中には、シューベルトが若い時に「菩提樹」を作曲した場所と言われる水車小屋があった。「菩提樹」は、ウィーン少年合唱団が得意とする歌の一つであり、数10年前に同名で映画化もされている。私は、この時に発売されたレコードのドーナツ盤を今も持っている。
P1010523.jpg
 ウィーンでは、夕食後、旅行にパッケージされた音楽会(ウィーン・レジデンツ・オーケストラ コンサート)を聴きに行った。出演者は、十数人と多くはなかったが、良く響く会場で迫力があった。一部はモーツアルト、二部はヨハン・シュトラウスの曲で構成され、観光客に分かりやすい馴染みのある曲が演奏された。舞台に近い席であったため、歌手の息使いや口が張り裂けんばかりに大きく開いて歌っている顔が見えた。1曲だけ、観客を巻き込んでの歌もあり、客の手拍子も入って熱気に溢れた。この他に2~3曲、男女2人のバレーダンサーが踊りを披露してくれた。とても軽やか且つパワフルな踊りに会場が沸いた。観客を喜ばせる術を知っていると思った。
 ハンガリーでは、昼食時に4人の楽師が、“ドナウ川のさざ波”や日本人向きに“上を向いて歩こう”を演奏してくれた。ドナウ川の遊覧船でも“ドナウ川のさざ波”が流されており、さすが本場と思うと同時に中学時代に覚えた歌を思い出しながら懐かしく聴いた。
 ハンガリーの首都ブタペストから60キロほど離れた所にエステルゴムというハンガリー建国の地があった。ここには、ハンガリー最大の大聖堂があり、結婚式が行われていた。厳かな雰囲気があり、人生の門出を祝う場所として最適だと思った。内部には、大きなパイプオルガンが設置されていた。なお、ハンガリーは、フランツ・リストが生まれた所とのことで、記念にオルガン演奏のCDを買った。
 現地ガイドは、72歳の男性で、日本語がうまかった。ハンガリー動乱があったことや日本語を学ぶようになったキッカケを話してくれた。辛かったに違いないが、それはおくびにも出さなかった。今は、お子さんが医学生とのこと、自慢げで幸せそうだった。
 旅行を始めて6日目、ついに武藤先生がおられるチェコのプラハに来た。
 プラハは、ヴルタヴァ川(チェコではドナウ川をこのように言う。)に位置した美しい町であった。標準の観光コースは、各種建築様式のお城や教会、ヴルタヴァ川に架かる橋等であったため、残念ながら音楽会の会場等には案内されなかった。教会内部のステンドグラスは、とても綺麗だった。どこからか鐘の音が聞こえてきた。石作りの町のせいか、響きも良くジーンとした。この教会を出た所で、曲名は分からなかったが、辻音楽師が演奏をしている脇を通った。やはり音楽の町ということを実感した。夕食時には、トランペット、アコーデオンそれに女性歌手による音楽を聴いた。曲の一つに、“荒城の月”があったが、多少崩した演奏で丁寧さに欠ける気がした。
 プラハから200キロほど離れた所に、中世ルネッサンスの町並みが残るというチェスキー・クルムロフがある。ここで現地の女性ガイドに武藤先生のことを聞いたらご存知だった。思はず嬉しくなった。また、東京五輪女子体操の名花、ベラ・チャフラフスカさんのことも聞いた。一時不遇の時期もあったようだが、チェコでは超有名人とのこと。昨年、東日本大震災の復興支援などで日本に来てくれた。その時チャフラフスカさんは、東京五輪の時に一振りの日本刀をくれた人を探していた。その仲立ちをされたのが、武藤先生だった。この話は、昨年10月の新聞やインターネットに掲載されていたのでご存知の方も多いと思う。
 旧東ドイツのドレスデンにも行った。ここは、先の大戦で町の85%が瓦礫と化したとのこと。ここで、世界中からの寄付によって再建されたというフラウエン教会を見学した。再建に当たっては、総ての瓦礫片に番号を付け、世界最大のパズルと言われる瓦礫の組み合わせを行って教会を立て直したとのことだった。パズルの解明には、コンピュータを使ったと言っていた。近くには、エルベの戦いで有名なエルベ川が流れていた。
 旅の終わりに、ビールの町ミュンヘンに行った。町を散策した後、夕食を兼ねて居酒屋に行った。前回行ったとき店は、たいへん賑わっており、女性ウェーターが、おそらく1リッターはあると思われる大ジョッキを両手にいくつも持って、忙しく動き回っていた。相当な腕の力が必要だと思った。こんな所で本場の“Ein Prosit…”が聴ければと思ったが、今回は、やや客も少なく、静かな雰囲気だったので、ドイツの方に歌をお願いすることはやめた。ビールも病み上がりであることから、ささやかな小ジョッキで我慢した。

 今回の旅行では、横浜市青葉区の男声合唱団「ドックウッド(日本語でハナミズキの意味)」の方と一緒になった。団員は68名で、平均年齢は何と76歳。最高齢者は90歳を超えるとのことであった。70歳台に入ったばかりの小生は、鼻たれ小僧。なんとも恐れ入った合唱団で、東京の合唱で優勝したと言うから敬服するばかりである。この方々を見習って、これからも元気に歌い続けて行きたいと思う。
                                       以上
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  1. 2012/07/31(火) 22:16:05|
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